2006年06月20日

歴史散歩道  中頭方東海道 ハンタ道

1646年(琉球国絵図帳)に安里村壱里山として記載されていますが
山を切り開いたため現在その場所は平地になっています。
壱里山から中城城までは1時間で行けたそうで。
護佐丸は馬に乗り首里を往復したという。石畳ではなく芝生が生えていたとか

尾根伝いの道で景色が良く現在はまだ復元の工事中ですが秋には歩け歩こうの
中城村の催しがあります ハンタとは崖の方言です。

首里城から中城グスクまでの道のりでペリーの調査隊が通った道でもある。
ペルリの一行は、黒船の石炭探しに大宜味村塩屋まで行くが、
石炭発見に失敗した。首里王府は、西表の石炭を隠し通した
(嘉永6(1853)年 浦賀沖に現れた黒船 四隻 )
太平の眠りを覚ます上喜選、たった四杯で夜も寝れず
アメリカは捕鯨船と母船の船団で日本近海に来て鯨から油を取っていた
水と燃料が欲しく日本に開国を促した
ペルリはフィリッピン経由で5度沖縄に来ました。

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エイサー
エイサー(2006-08-09 00:04)


 
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